沙羅双樹の花の色

さて、晴れた土曜日、今日はどこへ行こう。

実はね、前から計画してあったのですよ。

「山を越えて『高速増殖炉 もんじゅ』を見に行こう!」

いちおう職業として地球の環境のことなぞ研究しておりますが、エネルギー問題と環境問題をとりあえず解決する方法なんて原子力しかないんですよ。高速増殖炉ですよ。事故起こすとやばいけどね。
高校の時動燃に夏休み行って霧箱作ったり、TEM取ったり、金属ナトリウム消火訓練したりしましたよ。がんばれ核燃料サイクル。行政的にも市民の印象的にも終わってるけど。動燃の文鎮も、高速増殖実験炉「常陽」のマグカップも持ってますよ。

という動機でもないのですが。

ともかくロードレーサーで北へスタート。琵琶湖沿いを北上していく。西岸を走って、比叡山方面へ登坂開始。本当は登らなくてもかまわない道なんだけど、もう坂とか好きだからさー。で、ちょっと交差点で止まったあとに登り始めた刹那。


「バキッ」


あー。この音はよく知ってる。スポークが破断した音だ。金属の弾けるような音がフレームに伝播する感じ。
シマノのR540というスポーク本数が極端に少ない(片側8本×2=16本)ホイールを使っていたのだが、体重の重い人が思いっきりトルクをかけて坂を上ればねじ切れるに決まってるのよね。もう今までの自転車でスポーク折れはもう8回以上やってる気がする。ホイールの交換時期か…もういくつめだろ、ホイール。

はい。走行不能です。しくしく。輪行して帰ろ。近くの京阪電車の駅でパッキングしながら思う。スポークが折れる音を聞く瞬間、絶望的な気分になる。なんか形あるものが壊れるときを知らされるような。
本来無一物、諸行無常の音ですよ。祗園精舎の鐘の音よりは金属音ですよ。

…む。祗園精舎!? そういえばこの先山を越えた先にある大原は平家物語ゆかりの地ではなかったか。清盛の娘、建礼門院徳子が尼僧として終焉を迎えた寺は寂光院。古きを偲ぶもまたよし。

そうだ 京都、行こう

あ、なんか今いい感じで話つながらなかった? なんかうまい論文のイントロ書いちゃった気分?
いやだわ酔って日記書くと、こんなところで無駄に教養をひけらかしたりして。まぁ、映画やアニメの聖地巡礼と何か変わるわけでもなし、聖典平家物語になっただけ…ってこれが何かの言い訳になったわけでもないな。恥ずかしいわ酔っぱらいは。

というわけで輪行も解かずにタクシーで帰宅し、そのまま予備の自転車(Gaap)で元の場所へ。

堅田まで行ってから、京都方面へと山越えに入る。この峠は「途中越」という。梅雨の晴れ間だけあって、今日はもわっと暑い。木々が車道にまではみ出すので、後ろの車に気を遣っていると体に枝やら葉やらが当たってしまう。

熱射病になりそうな中、(温度計は28〜35度を示していた)分岐に到着。ここから勾配がきつく狭い旧道をちょっと走ると途中峠である。横のバイパスが9%と書いてあるが、こっちはもっときつい。工事をやっているせいで、1〜1.5車線の道を工事用の大型トラックが砂煙を立てて走っていく。


途中峠を越えると気分のいい下り。スピードが出過ぎるわけではなく、3,40km/hで下っていけるような。大原の里まで下り、車などとても通れない細道を寂光院へ。自転車を止める。汗だくでしかも恥ずかしいレーシングパンツ姿で、入るのを断られたらどうしよう、と思いつつ窓口へ行ったが、問題なく入れてくれた。

本堂へ登っていく階段の、モミジの裏葉は実に美しい。これだけでも来た甲斐はあるというもの。というか、本堂は2000年の不審火で消失してしまって、今は新しい本尊と建物になっているので、あまり味がないのよね。まぁ、それも含めて諸行無常と言うべきか。境内には、「祗園精舎の鐘」と書いた鐘があって、近くに沙羅双樹の木も植えてある。


緑の中で休憩して、ダウンヒルの続きに入った。三千院の入り口は、体感温度がすっと何度か下がる。流石は名刹。そのまま修学院までかけ下り、川端通りを四条へ。


河原町でお気に入りの和菓子を買ったあとは、再び滋賀方面へと登坂を開始する。まぁ、和菓子の袋なんか下げてるしー。だらだら漕いでれば越えられる山ですよね。

と平和に登っていると…後ろから日焼けしまくったMTB男がぴたっとつけてくる。
あー。もう。分かったよ。飛ばせばいいんでしょ。逢坂山の登りでMTB男をぶっち切り、滋賀の自宅に帰ったのが15時過ぎ。走行距離は80km程度。トレーニングにはちょうどよかったかもね。