暴風与論島紀行

島時間を過ごしたい

年末いまだかつてない修羅場をどうにか乗り切り、仕事をどうにか切り上げて(当日の朝6時までかかった…)、妻子を車に乗せて伊丹を目指す。

今年の年末は、離島で家族で過ごすのだ。一日に7つ〆切が来るとか、分刻みでなんとかの打ち合わせが、とかそういうのから脱出するのだ。
行き先は与論島。沖縄のすぐ北にあるが、行政上は鹿児島県。サンゴ礁の楽園だ。
2003年のこと、交通費込み持ち金9万円で20日間沖縄&石垣&波照間自転車ツーリングを敢行した私は、東京から沖縄までフェリーで3日かけて行ったのであるが、途中で寄港したこの島のサンゴ礁と空の美しさに激しく感動したのである。それからというもの、いつかは与論に行ってみたいと思い続けて14年。やっと宿願を叶えるチャンスがやってきたのだ。


さて、伊丹に向かう高速は暴風雨。すでに雲行きが怪しいなんてもんじゃない。我らの軽自動車は、寒い寒い年の瀬の道を、よろよろと風に煽られながら走っていった。JALのサイトを見ると、「沖永良部 条件付き運航 引き返すことが有ります」とか書いてある。沖永良部島与論島のすぐ近く。幸い与論島のところには何も書いていないが、いつ欠航してもおかしくない天気だ。


はいはい。私が旅行するといつもそうですね。もう慣れたよ。
行き掛けに、いつものゴアテックスを着込んで出発しようとしたら、妻に「リゾート行くんでしょ? ゴアテックスはかっこ悪いからやめて」とか言われて、仕方なく着ずに来たが、これは絶対後悔する流れだ。私と結婚した時点でゴアテックスを着ずにレジャーに行くのは自殺行為であることに、そろそろ気づいてもいい頃である。


子供をぐずらせないために延々と絵本を読み続けて1時間半、鹿児島で乗り継ぎである。この時点で25分遅れ、与論島への乗り継ぎ時間はほぼ0。トイレに行くのが精一杯であった。鹿児島からボンバルディアのプロペラ機に乗り継ぎ、さらに600km近く南下していく。この飛行機も遅れ、サンゴ礁を垣間見つつ昼過ぎの与論空港に着陸した。鹿児島を出てからは子供が昼寝してくれたのでとても助かった。

窓から見えるこの海、素晴らしい。

飛行機を降りてから公民館みたいな小さな空港まで滑走路を歩いて行くが、みんな暴風ですごい髪型になっている。

飛行機から直接フォークリフトで荷物が降ろされ、職員が手で運び込んで手荷物受取完了。手荷物受取スペースは、一部が物置と化しており、観光案内の看板が半分しか見えない。いいローカル空港だ、テンション上がってきた。

見よ、この手荷物引き渡し所を! ベルトコンベアあるだけいいけど、回らないぞ!

空港全景。

送迎バスに乗り、プリシアリゾートヨロンへ。今回はここに3泊滞在し、ダラダラした。基本は荒天の中、コテージに滞在していただけである。私と妻が子供と遊んだり、妻がエステに行ったり、私が読書をしたり、家族で飯に行ったりした。…のがメインなのだが、それじゃ記事的に面白くないので、滞在中にやったいくつかのアウトドアアクティビティについて下に書こうと思う。

ゆれゆれ百合ヶ浜

百合ヶ浜とは、海流の関係で砂が沖合に集まった浅瀬である。干潮になると姿を現すという砂浜だそうな。グラスボートのツアーがあると聞き、申し込んでおいたのだが、当日、天気予報を見ると波は4m。大型フェリーでも4mはかなり揺れる方なので、おそらく絶望的だろう。フロントに聞くと、予想通り「今日は中止です」とのこと。
仕方ないので、レンタカーを借りて島の中を適当に巡ってみようということに。ちなみに風が強すぎてヤシの木がしなるほどであり、サイクリングはとても無理であった。レンタカーは二代目マーチ。ジープもあるとWebサイトに描いてあったので聞いてみたが、「壊れてます…」とのこと。さて、フロントで鍵を渡され、「駐車場にあるんで乗ってくださいね」と言われる。傷のチェックとか説明事項とかないんかい。

駐車場に行ってみるとそれもそのはず、傷だらけで、タイヤの空気も抜け気味で、オドメーターは105000kmを突破したマーチが待っていた。中古で導入されたからこんなに走ってるのかな? もし新車の状態で導入されたのだとしたら、一周22kmの与論島を、この車は5000周くらいしている計算になる。それなら確かに、傷のチェックとかする気もなくなるであろう。


しかしエンジンを掛けるとマーチは力強く島をトコトコ走っていく。さすが日本車。パワステは若干怪しいが、許容範囲である。
ちなみにこの島は赤黄緑の揃った信号が1箇所しかない。サトウキビが揺れる中をゆったりと道が続く。

50km/h以上で飛ばそうという輩などいない。路線バスもあるが、マイクロバスだ。自由乗降だから、どこでも乗せてくれるし止まってくれる。ああ、癒される。


のんびり走っていくと例の百合ヶ浜の向かいのビーチ(大金久海岸)を通りがかった。「せっかくだし見ていこうか」と妻。車から降り、3人海に向かっていくと。


オバアが現れた。浜に行く途中のテントで売店をやってるらしい。愚息を可愛い可愛いと褒めつつ「お父さんもお母さんも大阪じゃ忙しかろう、ばあちゃんの子になるか、今ばあちゃんは暇だよ、子どもたちはみんな東京に行ってしまって一人暮らしだ、庭の草むしりも昔ほどできないんだー。お茶のんでいくといい、与論豆もある、おせんべいもトマト(タッパーいっぱいのミニトマト)もあるよ、食べないかい」とひとしきり息子に言った後、
「今日は船出るみたいだよ、ほら船長が船出そうとしてる」
と一番大事なことをサラッとのたまった。え、なに、船出るのかよ。ホテルでは出ないって聞いたぞ。適当だな。

冬で曇っていてなおこの海の色。右に写っている小船が、今日乗るグラスボートだ。Tome Cruiseと書いてある。トムではなく、トメだそうです。福留さんなんだって。

波の合間を見計らって、砂浜から船についたはしごに飛び乗る感じである。なかなか難しい。しかも2歳児を抱っこしているとかなり難度が高くなる。


足下の波が引いたところで、はしごに飛び移るのだ。どうにか乗って出港。船は揺れる揺れる。与論島サンゴ礁が周りを囲んで天然の防波堤になっているので、4mの波が直接来ることはないらしいが、それにしても揺れる。グラスボートの底を見ていると気持ち悪くなりそうなので、周囲の海を見ていると、「サンゴ礁の魚達に向かって吐けば餌付けができるよ!」と船長に気軽に勧められた。ひどい餌付けである。まぁ、吐かずには済んだが。サンゴが近いところでは、チョウチョウウオやハタタテダイをはじめとするたくさんの熱帯魚が見られて楽しい。

ダイビングの聖地の一つになっているのも頷ける。子供が少し大きくなったらシュノーケルくらいは持ってきたいところである。


しかし百合ヶ浜は現れていなかった。潮位があと50cmくらい下がれば姿を表しそうなものであるが、今年は砂が広い範囲に分散しており、水面上に出る日は殆ど無い状態が続いているとのこと。これもフロントの人は教えてくれなかったな。商売だから言わないのだろうか。まぁいいや、残念。

息子は砂浜に上がると、喜々として砂遊びを始めた。気温は17℃くらいあるとはいえ、風が強くて肌寒いくらいなのだが、構わず遊んでいる。砂の質は極上だ。サンゴと貝殻の欠片から出来ているような、真っ白な砂。探せば星の砂も見つかりそうだ。年末のハイシーズンなのに、砂浜で遊んでいる人など誰もおらず、独占である。気がつくと1時間くらいは砂を掘ったり山を作ったりしていた。帰り道売店、というかテントでまた家族一同オバアに捕まり、お茶をいただく。帰るときにはしっかりサンゴのアクセサリーを購入していたのであった。

ずぶ濡れサイクリング

4日の滞在中、最終日以外に唯一晴れの予報が出た日、サイクリングに出かけることにした。今回は何も持たずに来たので、子供乗せ自転車(電動アシスト)で出発である。チキン野郎である。ちなみに妻も電動アシスト自転車。上に書いた事情でゴアテックスを諦めた私は、それでもなお不安だったので温泉タオルを2枚カバンに忍ばせ、自転車置き場へ。今回は係員が自転車置き場まで来て、丁寧に操作法の指導をしてくれる。予備のバッテリーもくれる。レンタカーより詳しいのがなんか可笑しい。

ナビゲーションはiPhoneと、フロントで渡された島の地図。とりあえず地図を見ながら、走り出してみる。目的地は島の東にある鍾乳洞だ。右手に滑走路を見て、そのまま走って、空港ターミナルがあって、ずっと右手に滑走路が……と数km走って空港を一周し、出発点に戻ってきた。あー。うむ。一周したねぇ。ずっと右手に滑走路があったのだから当然である。軽いジャブのようなものである。iPhone見ればよかったですね。

走っていてわかったこととしては、島の重要な交差点には番号がついており、観光地図と紐付けられているということ。自分がどの向きに走っているかが分かっていれば迷うはずはない! でも今迷った!

気を取り直し、自分の位置を確認しながら内陸を走っていく。ずっとさとうきび畑

ピイピイと鳴く小型の猛禽類(トビではない)や、名前の分からない青い鳥が飛んでいる。

道端に無造作にヤギがつながれている。のどかである。

ずっと脳の血圧が上がっていたような平日の緊張から解放されて、頭の中が空っぽになっていく。島はいい。

途中、坂を登ってサザンクロスタワーという場所へ。

お花畑で花束を作るのが趣味の乙女チックな息子は、ここぞとばかりにタンポポカタバミを摘んでいる。島中に咲いているハイビスカスもきれい。

肝心のサザンクロスタワーは、入り口に「自動ドアの体調が悪い」と
いう毛筆書きの張り紙がしてあり、たしかに自動で開かないもよう。こんなとこものんびりしてますな。

休憩後はまた丘を越えて、赤崎鍾乳洞へ。


右のプレハブみたいのが受付で、左の階段を降りると鍾乳洞である。この見るからに不安になる感じ、B級スポット感にあふれている。もう大好き。


受付で懐中電灯を借りて中に入る。大して広い鍾乳洞ではないのだが、なかなか綺麗な造形が見られて満足。

サイクリングのついでに立ち寄るのは、このくらいでちょうどいいかもしれない。

行きは内陸だったので、帰りは海沿いコースにする。遠浅の白砂と淡青色の海を見ながら走っていくと、途中で太陽が顔を出した。実に3日見なかった太陽である。やっと、やっと見られた太陽である。


ぱっと周囲の緑が、ハイビスカスの赤が彩度を上げたような感覚に包まれる。

気温は20℃前後、陽射しがあれば実に温かい。道はアップダウンが続くし、写真でわかるように風もすごく強いのだが、電動アシストのおかげで楽々。


楽しく記念撮影などしながら走ること20分くらいだろうか。

急にムクムクと雲が湧き上がり、あっという間に太陽が姿を消し、パラパラと雨が降ってきた。

雨宿りできるところはあるだろうか、いや全然ないな、と思っているうちにあれよあれよと雨は強くなり、豪雨に変わった。一瞬で親子3人ずぶ濡れである。仕方ない、宿まであと3kmもないくらいだろう、突っ切っていこう。覚悟して一所懸命にペダルを漕ぐ。進むのはいいが、サングラスもなく、雨が吹き付けてくるので全く前が見えない。これはひどい
「こんなこともあろうかと子供のカッパを持ってきたの!」と後ろで妻が叫んでいるが、着せる場所もないし、ていうかそれなら私と貴女のカッパも持ってくればよかったじゃない、と思いつつ口に出せずに、必死に前進。途中のトンネルでどうにかカッパは着せたが、ほうほうの体でホテルに帰還した。

あっという間に、水たまりができるほどの雨が降った。

もはやレストランに行ける状態ではなく、コンビニでカップ麺の沖縄そばを買って部屋にたどり着き、風呂に入って冷え切った体を温めた。そのあとは夕方まで着る服がなくなってしまったので、部屋でパジャマのままひたすら読書。14年前の沖縄旅行記を見返すと、どうやら某紙使いな小説の8巻を読んでいたようなのだけれど、ちょうど今最新の12巻を持ってきていて、服が乾くまでに読み終えた。どんだけ刊行遅いねん。作者頑張れよ。

帰り道

与論空港は1日3便しかない。鹿児島行き、那覇行き、沖永良部行きである。だから空港ものんびりしている。
鹿児島行きのプロペラ機は定刻に出発すると思いきや、機材到着遅れとかで10分くらい遅れて機内へ。しかし、この遅れが災いして、那覇から到着する琉球エアーコミューターの飛行機と時間がかち合ってしまい、滑走路に出られないまま待機。1日3便しかないくせにバッティングするとは、不運である。で、その便の到着を待ったあと、滑走路の端まで走って離陸の準備をしていると…放送が。

「待っている間に風向きが変わってしまいました。反対向きに離陸します」

で、滑走路の逆側まで1km以上走っていって、今度こそ離陸。無駄に飛行機で滑走路を文字通り右往左往しているうちに30分近く遅れてしまった。その後の鹿児島→伊丹も15分遅れて、結局今回はJAL, 日本エアコミューターの4便が全便遅れる結果に。風が強かったせいかもしれないが。



まぁそんなわけで、百合ヶ浜は現れないわ、島のメインのお楽しみのダイビングもシュノーケリングもしてないわ、曇っていて星は見えないわ、暴風に吹かれて雨に降られるわ、言葉にすればさんざんだったはずの与論島であるが、なんだかとても楽しく、リフレッシュできた。きっと、我々が体験したのは島の魅力の数分の一なのだろうが、それでもなかなか満足であった。だってホテルの裏手の砂浜ですら、こんな↓ですからね。これが12月30日の日本の写真なのが信じられないくらい。


アクティビティを楽しみたい人はもちろんだが、喧騒から離れて島時間を過ごしたい人には、与論島はなかなかオススメなのではないでしょうか。民宿だと満足してくれない奥様のいる諸氏も、プリシアリゾートヨロンがありますからね。全室白亜のコテージで、価格は都内のアパホテルより安いくらい。オススメです。

おまけ

島の猫。